rontyu-ta’s blog

小学校教員のブログです。一人一人を大切にする学級にしたいです。インクルーシブな教育を目指しています。ほぼ自分の振り返り用です

多様性って

最近あるネット記事を読んで考えた。

よくある多様性が認められない社会なんてくそだ!みたいな感じ。

 

多様性が認められる社会を!って言うのってある意味、矛盾が生じてる場合が多いなと思う。言うだけならまだいい。

大抵、認められない人間はおかしいというスタンスの方が自分の周りには多い。

 

多様性を押しつければ押しつけるほど、多様性を認めない人を排除していく。多様性を認められないあの人は分かってないとか。

ここで考えたいのは、それって多様性が認められると言えるのか。こういうこと言うと必ず怒る人いるけど、それって僕の考えの多様性の中の1つは認められてないってことなんだ。予防線じみてるけど。

最近、同じような論調が出てきてるからたぶんそろそろステップ踏んで昇華されるのかも。もしくはされてるのかも。

 

多様性を認めてほしいってのは自分が排除されたり、否定されたりした経験を経て自分を認めてほしいとつながってるのかもしれない。ちがう!って言う人もいるけど。つながりをなくすことって結構難しい。僕も少しはある。だから伝わりづらい部分があるのかも。自分を認めろ!ってスタンスなわけだから。

 

相手の多様性を認められるとは何かを問いたい。

その人自身を否定しないこと?

受け止められること?

 

僕自身も多様性が認められる社会だったらいいし、そうなってほしいと思う。

私はこうだけど、あなたはそうなのね。っていう感じ。ぶつかるときには私はこうだけど、あなたはどう?くらいの感じでいれたらいいな。

えらく抽象的な話だけど