探究理科6年環境と私たちまとめ
今回は理科「自分たちの地球の環境を守ろう!!」というテーマで教科書にある「水」「空気」「生き物」から環境を守ることについて個人で問いを考え、まとめていく活動。本当はグループで行うつもりだったが、緊急事態宣言中のため、個人で取り組んだ。
〇児童の活動結果
・微生物で水をきれいにする
インターネットであった空気を入れて微生物が活性化するのを見付けて実験。微生物探しから学校の池の水で微生物を見付け、空気を入れるがうまくいかず、休みの日に川に行って水を汲んで調査中。発展した結果、微生物の生態に興味をもったのでそちらにテーマが変わった。一番発展したのがここの児童だった。同じもので興味をもって調べた児童もいた。理科の講師の先生も協力してくれたが指導側も分からず途方に暮れることもあった。最後は面白いね!これってどうなるんだろう?くらいしか指導側も言わなかった。
・食物連鎖系模型・水の循環模型・生き物を守る系ポスター作成
最初は正直、意味あるのかと思っていたが、想像以上に意欲をもってやっていた。(準備したいがために家で作業をして遅刻してくる児童もいた)水の循環の模型はうまくいかず、改良を重ねた。なぜうまくいかないかを考えて試行錯誤していくのが理科っぽい。表現をしていくので思考も深まった印象。
・水をきれいにする
ろ過装置をつくり、様々な条件で実験。水を比べてみたり、捨てる布を使ったりするなど環境を意識したりするなどして作成。性質が変わっていたので調べてみると校庭の石灰が原因で変わっていたのが判明した。実験をして少しずつ条件を変えて改良を重ねていた。
・空気をきれいにする
集気びんに二酸化炭素と葉っぱを入れて酸素がどうなるか調べる。6年の単元で似たような実験もあるが、そちらとは条件を変えて実験していた。何人かが似たような実験をしていたので紹介すると微妙に違う条件だったので深まった。この実験は指導側がこのやり方のほうがいいと口出ししすぎたことで児童の意欲が下がったのがわかった。難しい。
・調べたことをスライドor画用紙でまとめる。
このケースの児童も意欲をもって取り組んでいた。途中、周りが気になり始めたが、グループで相談タイムを設けたので、特に困っている様子はなかった。調べるだけでも大変そうなことも多く、集中してまとめていた。完成度のレベルも悪くなかった。データなど根拠をもってまとめていた。次は実験したいや表現したい、自分にもできそうと多くの子が言っていた。
〇やって考えたこと
◎やってみることの大切さ(自分)
◎繰り返すのが良い。(来年度はやりたい)
◎一人一台のタブレット大活躍、簡単に写真、動画が取れるのは大きい!!
◎関わり方(安全以外で口出しすることは避ける)一方、時間がかかりすぎる。
◎KWLは児童の思考を整理させた
◎成果物を作ることでの意欲があった。理解や思考も深まった。
◎児童の様子を見てミニレッスンを入れる。(何が必要か)
◎中間進捗発表があることで、周りとの共有ができ、良かった
◎児童が集中していた。余計な指導をしなくてよかった。
△専門的な知識のソース不足(自分・外部の接触もない×)
△何度か大テーマを想起。複数の小テーマがあるのが難しい。初めの導入が弱すぎた。
△とっかかり例の不足(発見ボックス・紹介が乏しい)
△グループの意味。一人じゃできない。できたとしても管理しきれない。
△評価の提示したが、具体的な成功例が提示できず。指導要領に基づく。ワークシート中心に評価すると伝えたが、あまり意識はないよう。
科学的な見方や考え方・観察,実験の結果を整理し考察する学習活動や,科学的な言葉や概念を使用して考えたり説明したりするなどの学習活動ができたか
△記録が弱い。
△フィードバックの仕方が難しい
粗削りな活動だけど、児童の振り返りでなぜこの活動をやった成果が自分なりに理解できたようだし、次にこんなことしたいと考えることができていた。繰り返さないと良くないなと思ったのでこれからやっていきたい。
今年の振り返りのなさは異常
これは子どもじゃなくて、自分
今年、哲学対話とか探究理科とかいろいろチャレンジしてる。しかも結構良い感じ。
でも振り返ってない。どういうことなの?
忙しい。決して振り返る価値のない日々を送ってきたわけじゃないと思う。忙しいだけでは説明できない。
クラスで「振り返りジャーナルを1年書いてみて」というテーマで振り返ったとき
最初はめんどくさいと思ったけど、深まっていったのが面白かった、書き方が最初と違う、行動に生かせるようになったとか書いてあったけど、自分がそこまでの域に達していない。ここが課題かな。たぶん時間の確保と伴走者や見てくれる人の不在が大きいと思う。
ぱっと思いつくのは下の箇条書き
・2年前の自分と今の自分は別物だ。
・見てもらう意識がないと腑抜ける。
・深めること。具体的に、どんなイメージ、例えば
・具体的なところから思いや考え、大切にすること、生かすこと
・目標に向かう子どもたちのための場の設定、サポートの仕方
しばらく放置してた下書き。今も同じことを
書こうとして笑う。一番下の箇条書きのとかなんのことか分からないし。たぶんスポーツ祭かな。
やってないとよくわかる。自分の成長がうすい。
書いてみるといっぱい書けそうな気がする
ほんとにそうなのか
未公開にするだけでやる気がなくなった
今、うまくいっていないわけではないけど、うまくいっていない。違和感で。
心理士の先生からクラス見てもらってベタ褒めだった。ビデオ撮った方がいいって。前はひどい言われようだったけど。
ちょっとずつ考えられるようにはなっているし、変わっているんだけど。ぶつからないから混乱しない。
なぁなぁになってる。
今日、50m測ったけど、子どもたち全然本気じゃないなぁと思う。リレーやスポーツ大会のためと声をかけたけどいまいち。投げかけようかと迷ったんだけど、やめた。
自分がなぁなぁなんだもの。授業も仕事も。本気の子どもに応えられない。ミスも多いし、だめだめ。綱渡り。
成績が終わったら切り替えていこう。
再開から1ヶ月
ここで1ヶ月。
分散からのスタート。ペアで話してもグループで話してもいけない。こんなんで授業どうやればいいの?からようやく1ヶ月。最初はものすごく静かだった。授業は一斉のみ。極力近付けてはいけないと言われながらのクラスづくり。密にならないPAとかやって今ではクラスの子たちはそれなりに楽しそう。
今年は面白おかしく教えてほしいって子たちが多い気がする。自分で考えるの苦手と何人か言ってた。
どんどん自分たちで考えてやる経験をさせたいと思って会社活動からプロジェクト活動に変えてスタート。会社より目的や活動をはっきりさせようというねらい。最初はいろいろ依頼してみたけど、どうなるか。新しいプロジェクトも出来てきた。なんとかフィードバックさせる感じがほしいなと模索中。そろそろホワイトボードミーティングもやりたい。
クラス目標もつくった。でも具体的なところまで落とし込んでいない感じがする。ビーイングで意識化するかなー。まだ出てこない感じする。
上手くいってそうなのに、言っていない違和感。
たぶん今がそれなりに良い状態だと思っていて目標に向かう意味を見出だせてないのかも。集団の成長過程なんかをレクチャーする?自分たちや集団をもうすこし突っ込んで捉えてみる?どうかな。
馴れ合いじゃなくてワクワクするような集団にしたい。
そもそも学習のデザインができていないからそこをもうちょい突き詰めたい。
やろうとすればやることたくさんだけど、いくらでも流そうとすれば流れるのでなんとか踏みとどまりたい。
楽しい学び2019
楽しい(魅力的な)学びって何だろうということで昨年考えたものをここにあげます。自分の学級の学習ができているか考えるのにここを改善しながら考えていこうと思う。
◎楽しい学び
- やることが楽しい。(学習内容が魅力的)
- 友だち・先生と楽しい。(クラスの関係性)
- 分かることが楽しい。(達成できる・最近接領域)
◎項目ごとの内容
①学習内容が魅力的
・つく力がわかる・どんなことに役立つかわかる(学習する意味)
・自分の生活とのかかわり(自分との関連)
・やることがわかる(内容の概要の理解)
・ストーリー・パワーワード・説明(引きつけられるような魅力・興味関心の維持)
・活動自体がおもしろい(活動の楽しさ)
・取り組み方の自由度がちょうどいい(自由度のバランス)
②学級の関係性
・一人一人と関われる(グループが固定化していない)
・失敗してもOK・同調圧力の低さ(学級の文化)
・協力できる(協同学習・学び合い・プロジェクト(総合)※協力の仕方は学級の状態によって異なる)
・質問の仕方・話し合いペア・トリオ・グループ(コミュニケーションのスキル・場づくり)
・教員の関わり(集団・個人に応じた関わり)
③達成できる
・達成できたかがわかる(達成の基準が明確)
・何度もチャレンジできる(評価の仕方?)
・自己選択(最近接領域)
※最近接領域の学習を一番楽しいと感じる(外的要因も含まれる)
・達成できたら次のレベルが設定されている・自分で設定できる(見通し)
・ノート(視覚化・達成の様子がわかる)
・振り返り(メタ認知・できたことがわかる)
スポーツと同じくらい勉強が楽しい
今さらだけど、令和元年度を振り返って終わってしまえば、あっという間だった。
うまくいったこともたくさんあった。休校前に自分だけ感傷に浸ってたので休校後もあっけなく終わるかなと思っていたけど、子どもたちは意外と感傷的だった。急だからわからないけど、感じてるんだね。
最後にはみんなの写真とまとめたプレゼントもいただいてこの一年間が一人一人の子どもたちにとって悪くない1年になっていたことを実感できて良かった。保護者も何人かきていて卒業させるみたいだった。ほんとにありがたい。
子どもたちとの関係も良かった。こうして振り返るとざっくりとしか子どものことを見ていないことに気付く。成長したとか変わったとか簡単には言えるけど、どんなことを目標にしてどうしたからどう変わったとかもう少し明確にもった方がいいなと思う。
ただ1つ言えるのは子どもたちが前向きになったということ。これが目標だった。一人一人と思うとまだまだ。学習が嫌いって子が多かったけど、好きになった子がかなり増えた。この子たちがこれからうまく作用してくれるといいな。勉強がスポーツと同じくらい楽しい!ってスポーツすごい好きな子が言っていた。
今年は荒れてる学年だったし、目標や達成を明確にした。これは自分のまとめた楽しい学びがもとになってる。振り返られるようにここにこんど書いておこう。
今の自分のベターな探究の授業の形がなんとなく見えてきた。ただ小学生はステップをある程度踏んでいかないと無責任な放任になってしまう。これから探究的な学習がクローズアップされていく中でかえって基礎習得や基本的なコミュニケーションを身に付ける過程が大切になるんじゃないかな。これはやっぱり基礎習得が大切だからそれをやりましょうよというただ揺り戻し的な物ではなく、両輪になっていると思う。年間通じてトライできたらいいと思う。ほんとは3月にプロトタイプみたいなのをやりたかったなあ。
今年1年で前よりこの仕事が楽しくなったし、やりがいも感じた。ただ調子に乗らないで周りの人に謙虚な姿勢でいたいと思う。
なかなか前のクラスの子たちが忘れられない。また担任やりたいと思う。今、目の前に子どもがいないから余計にそう思う。切り替えなければ。
多様性って
最近あるネット記事を読んで考えた。
よくある多様性が認められない社会なんてくそだ!みたいな感じ。
多様性が認められる社会を!って言うのってある意味、矛盾が生じてる場合が多いなと思う。言うだけならまだいい。
大抵、認められない人間はおかしいというスタンスの方が自分の周りには多い。
多様性を押しつければ押しつけるほど、多様性を認めない人を排除していく。多様性を認められないあの人は分かってないとか。
ここで考えたいのは、それって多様性が認められると言えるのか。こういうこと言うと必ず怒る人いるけど、それって僕の考えの多様性の中の1つは認められてないってことなんだ。予防線じみてるけど。
最近、同じような論調が出てきてるからたぶんそろそろステップ踏んで昇華されるのかも。もしくはされてるのかも。
多様性を認めてほしいってのは自分が排除されたり、否定されたりした経験を経て自分を認めてほしいとつながってるのかもしれない。ちがう!って言う人もいるけど。つながりをなくすことって結構難しい。僕も少しはある。だから伝わりづらい部分があるのかも。自分を認めろ!ってスタンスなわけだから。
相手の多様性を認められるとは何かを問いたい。
その人自身を否定しないこと?
受け止められること?
僕自身も多様性が認められる社会だったらいいし、そうなってほしいと思う。
私はこうだけど、あなたはそうなのね。っていう感じ。ぶつかるときには私はこうだけど、あなたはどう?くらいの感じでいれたらいいな。
えらく抽象的な話だけど